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【2006.02.24 Friday 】 author : スポンサードリンク
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参加型メディアという道楽
湯川さんのところで、参加型メディアに関する記事にコメントが付いていました。
業界の方と思しき「ばうー」さんのコメントです。

悪いけど、これは時事通信さんの記者の道楽ですな。参加型というのを集めてそれがどーした。問題は中身でしょ。

なんか、わたし、脊髄反射してしまいました。

コメントのコメントとして書いたのですが長すぎて書き込めません。トラックバックさせてていただくことにしました。

『ばうーさん、こんにちは。

私も道楽に参加している超零細企業オーナーです。私の理解では、参加型が現状のマスメディアに対する唯一の軸、というわけではありません。それよりも、マスメディアの構造全体(経営から人事採用、広告形態、お金の取り方、流通方法など)に変化を求めるような外部要因があちこちで発生しはじめた、という理解です。

参加型は、その中の一つの試み。元マスメディア関係者が自分のコントロールできる範囲内で始めたアプローチの一つ、という理解です。

ここでは「中身」ということについてこだわりたい。

さて、マスメディア以外の資本主義的な世界では、「中身」がよいかどうか決めるのは消費者なわけですが、唯一、この常識が通用しないのがマスメディアの世界。一消費者の私の場合、有償メディアの中身が透けて見えはじめ、ここ数年は一般新聞は全然講読していません。家族にもPCを渡し、気になったネット上の記事は家族にも回覧するようにしています。特定の情報収集の目的で、経済紙を期間限定で講読することはあります。

こういう、「新聞をとらない家庭」とか「とったりとらなかったりする家庭」は、私の廻りに急速に増えています。

中身の価値を誰が決めるか、という視点で、一般消費財とマスメディアを比較していくと、いかにマスメディアの生産物がその業界人から特殊な扱いを受けているか理解できます。記事の評価者は、記者にとっては、基本的にデスクです。テレビであればディレクターやプロデューサーです。ですが、それ、本当に真実ですか? 永続性のある価値判断、永続性のある方法論として固定してよいのですか?

湯川さんのblogは、現時点ではたぶん会社の収入や個人の収入に直結していない、という意味では、あくまで現時点、ですが、道楽という言い方をしてもいいのかなと思います。

しかし、そもそも、歴史をたどると、メディア自体が、金にならない自称言論人らしい人が始めたことでもあるようです。10年も待たなくても、あと数年ほどでもっと大きな変化が完了しています。「中身を評価するのは消費者だ」という常識を、業界人自身が認めざるを得ない世界が到来しているでしょう。参加の中身、形態を、いまの常識で考えないことです。システムがいったん動き出してしまうと、マスメディア内部の方の手の届かないところですべてが決まっていくようになります。

その端緒がそろそろ見えてきております。この件については近々、まとめさせていただきます。』
【2005.04.08 Friday 08:33】 author : katz
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【2006.02.24 Friday 08:33】 author : スポンサードリンク
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